
高森町の面白そうな小字を、『高森町の小字の由来・解釈─平成30年2月1日─』(高森町立図書館蔵)から採録しました。
この書籍の制作者は今村理則先生。自ら小字地番表を作成し、それに沿って多くの参考資料を元に、先生独自の解釈も加えまとめ上げた労作です。
参考資料は載っているだけで15種。地番表は次の3種の資料から作成したとあります。
①市村咸人編『下伊那地名調査』1958年(下伊那教育会所蔵)
②瀧澤主税編著『明治初期 長野懸町村字地名大鑑』長野県地名研究会1987年(飯田中央図書館)
③昭和43年6月10日廃止の『高森町土地台帳』(高森町役場)
小字一つひとつを訪ね歩き、調べ、膨大な資料から解釈を加えてあります。その仕事量は気が遠くなるほど。そんな先生の成果を拝借して、町の興味深い小字を訪ねてみましょう。
(今回は【ア】行を掲載しました。次回から【カ】行以降を漸次追加していきます)
今村理則
昭和11年下伊那郡旧川路村(飯田市嶋)生まれ。卒業後、農業(蚕種業)を経て、高校教員となり主に物理を担当。退職後は気象予報や小字地名調査などを行っており、飯田市の柳田圀男記念伊那民俗学研究所講座、市民大学講座などの講師を歴任。伊那谷地名研究会会員、金属・鉱物の会元代表(「伊那谷南部の民俗神と地名2 その他の神々」より)
【ア】
アゲ(吉田):吉田の段丘上の北端で、胡麻目川を見下ろす崖っぷちにある。アゲは動詞アグ(上)の連用形が名詞化した語と思われる。すなわちアゲとは「見上げたところにある土地」を意味するのであろう。胡麻目川からの視線による。国土地理院の2.5万分の1地図には23カ所が挙げられている。
アブラメン(牛牧・宮里):牛牧の宮里地籍にある。アブラメンとは「中世、その土地からの収益を寺社で使う灯油の費用に充てた田畑で、貢租を免ぜられていたところ」を意味すると思われる。喬木村富田にもアブラメン小字があるが、国土地理院の全国地図には、中・大字として1カ所が挙げられている。
【イ】
イカダバ(山吹・大沢川左岸):山吹の大沢川左岸に2カ所ある。イカダバ(筏場)とは「材木を集積しておき、それらを筏に組んで下流に流す場所」のこと。筏場までは上流から管流しでバラバラに流される材木を、この筏場で拾い上げておき、ここで筏に組んで流したものと思われる。国土地理院の2.5万分の1全国地図にはイカダバ地名が7カ所に中・大字として挙げられており、すべてが「筏場」となっている。
イチバ(下市田松岡城址の下の段丘):下市田の松岡城址の下の段丘にあり、「市ノ坪」小字に接している。イチバは文字通り「定期的に市が開かれる場所」であった。さまざまな芸人たちが芸能を繰り広げるなど、物だけでなく人と人との交流の場にもなっていたという。この小字には市場石がある。全国地図には中・大字としてイチバ地名は164カ所も挙げられている。
イッパイシミズ(牛牧・牛牧神社西方):牛牧神社の西方山地にある小さな小字。イッパイシミズとは「すぐに茶碗一杯になるほどの清水が湧き出ているところ」をいうのであろう。山作業をする人や焼き畑で汗を流す人、あるいは旅人が一休みできる場所であったと思われる。国土地理院の全国地図には1カ所にしかないが、竜丘には小字ではあるが2カ所にある。
インキョメン(牛牧):隠居免とは「隠居制家族において隠居屋を生活の場とする生活単位に分割される田畑・山林などの財産」をいい、隠居免の規模は地域や家族によって異なるが、「隠居免は主屋の田畑の半分から三分の一程度が一般的である」という。したがって、インキョメンとは「隠居の所有する土地」をいうのであろう。メン(免)が気になるが、あるいは免租地であったことも考えられるが、そうした記述は目にしたことがない。
インキョヤシキ(山吹・田沢):山吹の田沢にある小さな小字。インキョヤシキとは字面のとおりで「隠居の屋敷地」をいうのであろう。国土地理院の全国地図にはインキョメン地名もインキョヤシキ地名も記載されていない。
【ウ】
ウシクビ(出原):出原にあり、小胡桃沢川の上流が屈曲しているところを牛の喉に見立てたものであろうか。ウシクビとは「牛の首の喉元のように谷川が食いこんでいるところ」をいうのであろう。ウシクビ地名は全国地図に7カ所が中・大字となっており、うち6カ所が「牛・首」となっている。
ウナギダ(山吹・龍口):山吹の龍口にあり、果樹園や水田になっている。ウナギダとは①ウは上の転約で「上の方」をいう。ナギは「山の崩れたところ」。すなわちウナギダとは「上の方に崩地があるところ」あるいは「上の方の崩地にある田んぼ」②字面のとおり「ウナギのいる田んぼ」「ウナギのいるところ」。国土地理院の全国地図にはウナギダ地名が中・大字として1カ所に載っている。
【オ】
オイワケ(山吹・追分):山吹の田沢川曲流点の右岸にある。追分は道が二つに分かれているところをいう。各地に地名として残るといわれている。おそらくは北から来たとすれば、南に向かう道と天竜川に向かう道との分岐点だったと思われる。2.5万分の1全国地図にも中・大字として58カ所に挙げられており、その中に「下市田」図も含まれる。
オキガワラ(山吹):山吹の天竜川や大島川最下流部の川っぷちにある。オキは「山よりに対して川よりの低い方」をいうか。したがってオキガワラとは「川縁の土地」をいうのであろう。
オドリメン(牛牧・牛牧神社東方):牛牧の牛牧神社東方に3カ所ほどまとまっている。オドリメンとは①オドリは「神祭」をいい、メンは「免租地」をいうか。よって、オドリメンとは「神祭を行う神社の所有する耕作地で免租地になっていた土地」をいうのであろうか。牛牧神社に関わっていたのであろう。②オドリは高知県東部ではあるが「雑草の密生したところ」をいい、メンはメ(目)から転じた語で「狭い場所」の意がある。これから「雑草の密生している狭い土地」をいうのであろうか。全国地図にはオドリ(オトリ)メン地名は見当たらない。
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