飯田市座光寺地域自治会が発行している「座光寺便」2017年4月号に、東京渋谷にある「キャットストリート」という通りの話が載っています。おもしろい話なので転載します。ぜひご一読ください。

黄昏時のキャットストリート。左に写っている木が、座光寺自治会が植栽したりんごの木。青い実をつけているのがわかる。通り(道路)は渋谷川の暗渠。写真は2017年のもの
平成22年3月、座光寺自治会は東京都渋谷区との交流事業として、同区の表参道に近い通りの一角に、りんごと柿の植樹を行いました。
この通りは「キャットストリート」と呼ばれています。名前の由来には、「猫の額のように狭い通りだから」「猫が多いから」「ブラックキャッツという音楽バンドが生まれた土地だから」……などの諸説があります。
ここは昭和40年ころまで、渋谷川という小川が流れていました。それが暗渠化され、キャットストリートはその上に造られたのです。
大正1年に発表された文部省唱歌「春の小川」は、この川がモデルになっています。おしゃれなブティックや飲食店が並ぶいまの姿からは想像もできませんが、かつてはスミレやレンゲが咲き、メダカや小鮒が泳いでいたのでしょうね。
この歌の作詞は、長野県中野市出身の国文学者、高野辰之です。高野はこのほか、「故郷」「おぼろ月夜」「もみじ」「春がきた」などの有名な唱歌の作詞を手掛けました。
この高野らをモデルに「唱歌誕生」という小説を書いたのが、やはり長野県出身で東京都知事を務めた作家の猪瀬直樹です。内容は明治時代の文部省小学唱歌教科書編纂のノンフィクションで、島崎藤村も登場。当時のインテリジェンスの憂鬱が感じ取れる一冊です。
このように見てくると、キャットストリートは長野県ととても関わりが深いことがわかります。東京にお出かけの際はキャットストリートに立ち寄り、座光寺自治会で植樹したりんごの木を眺め、さらさら流れていた小川に思いを馳せ、これからの渋谷区との「りんご交流」を想像してみてください。

キャットストリート(2017年)。左手前と後方にりんごの木



赤い実をつけた(2017年)
飯田のりんご並木と違い、キャットストリートのりんごは少し大きくなると通行人(主に夜の酔客)に採られて(盗られて)しまうという話を、2017年当時聞きました。写真には赤くなったりんごが写っているけれど、座光寺自治会が植栽したりんごは現在どうなっているのでしょう。機会があれば訪ねてみたいと思います。
参考に、渋谷在住の友人のコメント(2017年当時の)です。まぁいろいろな見方があるようで……。
『キャットストリートは若者がファッションを競って、ブティックや古着屋を回って、食事をして、クラブで飲んで、騒いで、壁にキース・へリング真似て落書きして帰る街です。元から住んでいる人は高齢化して極めて少数になってしまいました。みなさん苦々しく思っているでしょうね。
なので、肉や野菜や果物といった生活用品を買いにファミリーが集まる街ではないんだよね。東京の人間も、フツーの社会人はあまり行きません。私の周囲の人間も、誰一人キャットストリートの存在なんぞ知りません。そういう街なんです。
私は地元なので、こういう雑多な街が好きだし、りんご並木も眺めてみたいと思いますが、ここ10年程で、自然発生的にあっというまにこんな生活感のない街になってしまいました。
東急が109をつくって仕掛けて以来、渋谷が若者の聖地みたいになってしまい、センター街・代官山・原宿・キャットストリートと、渋谷にはこんな街が雨後の筍の如く誕生し、地元住民は土地を売って逃げ出し始めています。
いわば、地方(郊外)出身であることを忘れるためにやって来た若者が、「渋谷だぜぇ」「イケてるだろぉ」とたむろしてるわけで、地方と繋がるものにはあまり目を向けたがらないと思うんですよね。我々の10代と同じですよ。
私は時々行きますが、このところ、中国・韓国・欧米人がやたらと増えています。』
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