サンザシの歴史について、日本で唯一サンザシの栽培を手掛けてる(たぶん)高森町より、情報発信しま~す。
日本おけるサンザシの歴史
日本では、北海道や長野県にクロミサンザシ(エゾサンザシは同種)、北海道にオオバサンザシの2種類のみ自生していますよ。でもクロミサンザシは、レッドデータブックの中でも最も絶滅の危険度が高いとされる「絶滅危惧種」に指定されているんですよ!! 生き残ってくれることみんなで祈りましょう!
ちなみに、インターネットなどで、トキワサンザシ(ピラカンサ)を「サンザシ」として紹介しているサイトをよく見かけますが、全くの別物なのでみんな気をつけてね!

サンザシじゃないよ! トキワサンザシ(ピラカンサ)https://www.park-funabashi.or.jp/and/tree/T-132.html
引用:船橋アンデルセン公園
さて、中国原産のサンザシが日本に渡来したのは江戸時代(八代将軍吉宗)の享保年間(1716~1736年)とされいます。これは、理学博士の白井光太郎著の『植物渡來考』に、「支那原産享保十九年(1734年)朝鮮産山樝を小石川植物園及駒場植物園に植ゆ」≪原文≫と記されているからです。八代将軍吉宗といえば、暴れん坊将軍のことですね!(笑) 朝鮮に野生種はないので、朝鮮で栽培の中国原産サンザシと解されているようです。この本が出版された1967年には渡来当時のサンザシが「今尚存在す」と記述されているので、植物園に問い合わせてみたところ、「現在は確認することができない」との回答でした。まことに残念!
日本で食用の大きな実のサンザシが広まったのは、1988年4月、日中友好のシンボルとして中国北京市昌平県からサンザシ300本、東京都青梅市から青梅300本を交換した以降と考えられます。(あくまでも個人調べ)
この時に送られたサンザシ300本のうち100本ほどは、高森町の日中友好交流の会の会員が引き取って栽培を始めたようです。また、高森町には日中交流のために中国を訪問した際に、記念としていただいたサンザシを含め、数種類のサンザシが存在しているんですよ。全国的に見ても珍しいですね。

満蒙開拓平和祈念館
追記すると、高森町を含む長野県南部は、当時満蒙開拓団として積極的に参加するよう学校での指導や政策がとられたため、全国でも断トツ移住者が多い地域なのです。その結果的として、中国残留邦人となってしまった方が大勢おられ、日中国交正常以後、帰国された残留邦人とその家族により、大勢の中国人が住む地域となったのです。そのため、元軍人らによる日中友好交流の会が設立され、全国的な組織となって中国人留学生の支援など、中国大使館を通して現在も活動を続けています。

サンザシの収穫(10月上旬) 高森町でサンザシの栽培をするTAKARTメンバー
④ につづく
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