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TAKART調査隊

TAKART調査隊 MISSION29 モッコは今どこに?

2020年東京オリンピックの開会式で披露予定だったモッコはオリンピック終了後どこに行ったのか?

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リンクページを見ると、東北復興のために制作されたモッコについて詳しく紹介されています。    
モッコは高森町で制作されました。制作に携わった株式会社ティーウェーブ(T-WAVE)へ、モッコがどこにあるのかを取材しました。   
ティーウェーブ代表の岡本俊生さんに取材させていただくと、とても面白い話がたくさん聞けました。最初このお話をもらった時はガンダムをイメージしていたそうですが、実際は東北復興のシンボルとしての制作で、イメージしたガンダムとは違ったそうです。

写真正面が岡本俊生社長

発端(きっかけ):2018年11月、高森町商工会から操り人形(後のモッコ)制作の話があった。    
◆高森町商工会になぜ人形制作の話が来たのか?    
当時を知っている堀商工会長に話を聞きました。モッコ制作の話は最初飯田市に問い合わせがあったが、飯田市がその話を断り次に堀さん(協和精工)へ話が来たそうです。協和精工では難しい案件なため、高森町商工会の会員で出来そうなところを選定し、ティーウェーブへ話を持って行ったそうです。      
◆制作開始  
2019年5月のイベントに1メートルの「ミニモッコ」をお披露目した。   
実際のモッコは体長10メートル、メインの部分は鉄であとは竹で作られている。デザインは人形劇作家の沢則行さんが行いました。沢さんはいいだ人形劇フェスタで上演された巨大人形「さんしょううお」の監督を務めた方です。今回の事業では沢さんが人形の制作・操演の総指揮を担いました。   
必要な竹は高森町で集め、モッコの操作は舞台経験者が担当した。  
モッコは紐で引っ張って操るため30か所位の紐が必要。重心は頭部にあり(紐で引っ張るので首から下に重心は必要ない)一番苦労したのは滑車だそうです。モッコを操るのに最適な滑車を見つけるまでに相当苦労されたそうで、最終的にヨットに使われる滑車が最適だったそうです。  
骨組みはティーウェーブで組み、他の部分はアグリ交流センターで作られました。「負の遺産」のアグリ交流センターが活用されてとても良かったですね。       
◆完成&披露   
アグリ交流センターで各部材を組み立てましたが、屋内多目的広場の天井までの高さが足りず、土の床を掘って必要な高さを確保したそうです。   
当初、2020年5月から東北各地で完成したモッコの披露が始まる予定でしたが、2020年3月中旬、オリンピックの延期が発表されました。披露公演の段取りに東北に行き、段取りを終えて打ち上げ会場で盛り上がっているときでした。       
◆21年オリンピック開催へ向けて   
延期が決まり、モッコはアグリ交流センターへ運ばれました。竹や各部品が傷まないように注意し保管したそうです。       
◆オリンピック開催  
2021年4月8日、アグリ交流センター前でモッコの操演稽古始まり、5月10日には東北公演へ出発するモッコの壮行会が高森中学校グラウンドで行われました。    
2021年5月、東北でモッコが披露されました。岩手~宮城~福島~東京     
当初2020年の計画では、1回披露したら拠点の高森町アグリ交流センターへ運び、メンテナンスをしてから次の披露場所へ移動と決まっていました。しかし、スケジュールがタイトで拠点へ戻るスケジュールが組めなかった。それと、予算が少なかったそうです。このため、運搬にかかる費用が足りなくなり運送業者を使えずティーウェーブが運搬をしたそうです。       
◆そしてモッコはどうなった?    
20年にオリンピックが開催されていれば、国立競技場や開会式で披露し、角川サクラパークで展示してもらえたはずだったが、コロナの影響とオリンピック委員会内のさまざまなゴタゴタ・裏金問題などのせいですべてがなくなり、2022年1月隣政寺で供養されました。    
ティーウェーブの岡本社長は、「制作に携わり大変だったが、とても貴重な経験ができた」と最近思い始めたそうです。オリンピック終了後はとてもそんな気にはなれなかったそうですが。

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