大島山 瑠璃寺 瀧本 慈宗住職に聞く
「社会全体が内向きになり、外向的空気が疎ましくなる」「社会の連帯や親和的関係が希薄化し組織の再編成が進む」。─コロナ後の社会をこのように想像する専門家の記事を新聞で見かけた。
コロナ禍で、人が集まる機会の自由が奪われた。人は人と関わり合い、学び共感し、成長していく。この関係性が希薄化した社会では、共に学び成長していく場はどうなってしまうのだろう。
どのようにすればこれからも「共に学び成長する」ことができるのだろう……。飯田中央図書館で長年社会教育活動に携わった、瑠璃寺(大島山)の瀧本慈宗住職にお話をうかがった。
社会教育の面白さを知る
大学で社会学を専攻したことが、社会教育に興味をもつきっかけでした。教育とは学生だけのものではない。大人になっても教育は必要で、特にコミュニティを形成していくには社会教育が不可欠─ここに興味を引かれ、社会学の面白さを知りました。
大学卒業後は社会教育に関わる仕事をしたいと考えていたので、在学中に社会教育指導主事と図書館司書の資格を取りました。ところが就職を考えるとき、社会教育指導主事の募集はどこにもなく、たまたま飯田中央図書館で司書の募集があったので、本意ではなかったのですが図書館職員として働くことになりました。
飯田市では社会教育主事を「公民館主事」と呼んでいた。飯田下伊那は昔から公民館活動が盛んな地。このため社会教育主事と公民館主事が同義であったと考えられる。社会教育実践の場も公民館が中心だった。
図書館は社会教育の基軸
「図書館の使命は資(史)料提供にある」。最初にこう言われました。「図書館は人が求める資料を草の根を分けても探し出し提供する、人々の知る権利を保障する機関である」とする、とても重い言葉です。また「図書館からイベント等を企画してはいけない」とも言われました。市民の主体的な活動を手助けするのが図書館の使命で、主役はあくまで市民ということです。
このようなスタンスで仕事に取り組んでみると、図書館の社会教育的な側面が見えてきました。文章講座、手づくり絵本の会、婦人文庫、朗読ボランティアなど、次々とグループが誕生しましたが、これらは市民の要求が最初にあり、図書館がその間に入ってお手伝いしたことで生まれたものです。
「資(史)料提供」という核となる仕事があり、そこを基にしていろいろな活動が生まれていく。美博や公民館などとも連携していける。幼児のための「はじめまして絵本事業」などは、飯田市の保健課とタイアップして生まれた事業です。「図書館って横との連携を取ればいくらでも活動は広がるんだ」と思い、「図書館こそ社会教育の中軸である」と、可能性を実感しました。
「ちびくろ・さんぼ」問題
「ちびくろ・さんぼ」問題は図書館の力量が問われた出来事でした。多くの図書館は本を館の書庫に収め、貸出禁止としました。世情に敏感な図書館の中には、廃棄してしまったところもあります。
飯田の図書館は、この「差別」という問題を真摯に正面から捉えました。市民の知る権利を保障しながら、差別という問題をどう考え、図書をどう扱うか……このプロセスが社会教育だと考えたのです。
私たちはこの本の背景を知ることから始めました。それを明らかにした上で、長年人々に読み継がれてきたこの物語を、たとえ差別に該当するものであっても、その歴史を一気に消し去ること、人々の目にふれないようにすることはできないと考え、公開し続けることにしました。原書もその後に出版された書籍もすべて公開し、議論が生まれ一人ひとりがこの問題を判断できるよう徹底しました。資料を提供し知る権利を保障したことで、新たな学習の場が生まれたのです。
「ちびくろ・さんぼ」問題 「ちびくろ・さんぼ」はイギリス人のヘレン・バンナーマン夫人がインド滞在中、イギリスで暮らす2人の娘のために手作りした絵本。バンナーマン自身のさし絵による初版がイギリスで出版されて以来世界各国で翻訳、出版されてきた。日本では、フランク・ドビアスの絵によるマクラミン社版を原本とした岩波版「ちびくろ・さんぼ」が代表的な版。 〈問題の発端と経過〉 「ちびくろサンボ」が差別図書として問題となったのは1952年ニューヨーク、1956年カナダのトロントで、いずれも学校からの追放運動が起きている。 1988年7月22日、アメリカのワシントン・ポスト紙が「昔の黒人のイメージが日本でよみがえる」という見出しで、黒人をモデルにしたマネキン人形や「人種差別の象徴のような」リトル・ブラック・サンボのキャラクター人形が日本で商品として出回っていることを非難した記事を写真入で掲載した。 その直後には日本の政治家が差別的な発言をしたとする記事がワシントン・ポスト紙に報道され、アメリカの黒人議員連盟は竹下首相(当時)宛に抗議文書を送った。日本企業は早速問題と指摘された商品の製造・販売を中止した。 こうした新聞報道をきっかけとして、児童図書「ちびくろ・さんぼ」を出版してきた出版社が見直しを始め、12月に入って学習研究社・小学館・講談社の大手3社が「題名や内容が黒人への偏見をあおる」として自社版を絶版。これに続いて岩波版「ちびくろ・さんぼ」も絶版とされた。
岩波版「ちびくろ・さんぼ」
ヘレン・バンナーマン作の「ちびくろ・さんぼ」
人形劇カーニバルを学びの機会に
1998年の世界人形劇フェスティバルでは、絵本作家・加古里子(かこさとし)さんの作品を借りて「かこさとしの絵本の世界展」を開催しました。このときも私たちはこれを市民の社会教育の機会と捉え、図書館は裏方に徹し、市民が参画し組織する実行委員会形式にしたのです。
当初はかこさんの作品展示と講演会だけの計画が、実行委員会にしたことでさまざまなアイディアが出され実行されました。オリジナルペーパーバック本(5冊セット)を2千部発刊し完売しました。かこさんに描いていただいたキャラクターをプリントしたTシャツも完売。さまざまな企画が実行委員会主体で生まれ実施され、活動を通して人と人とのつながりや共感が生まれました。
かこさとし作・画のペーパーバック本「だるまちゃんシリーズ」(5冊セット)
世界人形劇フェスティバルの2年後に、かこさとしさんとの縁で完成した絵本
なぜ公的機関が教育を
社会教育の担い手は公的機関ですが、それはなぜでしょう。
ひとつは信用です。公的機関だから信用があります。そして公的機関間の横のつながり・連携が取りやすいこともあります。
次に、社会教育は「教育」でなければなりません。近年は「生涯学習」という言い方がされますが、これは学びの主体である個人が使う言葉であって、行政等公的機関の言葉ではありません。「学ぶ」ことを投げかける側からすれば、それは「教育」であって「学習」ではないのです。
意図と効果
教育には特定の意図が必要です。それをもって実行し、より大きな効果を生むことが教育です。先ほどの例を取れば、実行委員として参画した人はそれが経験値となって、それを活かして自ら次の事を起こすでしょう。そのきっかけを与えるのが社会教育です。
意図をもって効果を発揮するのが社会教育ですが、その基は住民のニーズ(学習欲求)にあります。そしてこの住民ニーズをどのように教育的な場に反映させていくかが、専門職である社会教育主事の仕事です。
社会教育のチカラ
住民ニーズによって生まれたものを、行政がバックアップしていけば、ニーズが続く限り活動は継続し成長していくでしょう。しかし公民館活動はいまでは学びの場ではなく、コミュニティ(親睦)の場になっています。このような状況の中で、社会教育をどのように根付かせていくか─ここに、住民の学びのニーズをつかみ、仕掛ける立場の社会教育主事が必要になります。
不特定多数の人が参加できるのがコミュニティだと思われがちですが、本当に目的をもって何かをしたい人たちをきちんとバックアップしていくことで、コミュニティは強固になるはずです。地域の課題、考えるテーマは、つきることはありません。社会教育はまちづくりに直結する学習機関です。地域の課題解決にもなるはずです。今こそ、社会教育の意義や可能性を捉え、活かすときです。
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