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たらたらくどくど

友人の急逝


先月、東京の友人が亡くなった。直前までLINEでやりとりしていたのだから、訃報を聞いてもにわかには信じられなかった。    
夕方、「イル・ポスティーノ」を観たとLINEすると20時に返信があり、「ニューシネマパラダイス」などの話題をやりとりして22時に最後の返信。亡くなったのはその3時間後。心筋梗塞とのことだが、人間ってこんなにあっけなくいなくなるものなのか。映画や昔読んだ本や渋谷の街の話を今後一切できなくなってしまった。はるか青春の日々の思い出の一片が喪失してしまったのだ。    
ある人が、「老人が一人亡くなるのは、図書館を一つ失うのに等しい」と言っていた。高齢者は長く生きた分、若い人が知らない豊かな経験や多くの知識をもっている。それを図書館にたとえてのことだろう。これに倣えば、友人を失うことは、思い出を再体験する機会を失うことに等しいといえる。思い出は、共に体験した仲間と語り合うことで、共感が生まれリアルに再生する。多感な十代の思い出であれば、色や匂いまで伴って立体的に目の前に現れるかもしれない。そしてこれは、同じ時間に同じ経験を共有した友人がいてこそ可能になる。これが叶わなくなってしまったのだ。    
石川啄木や太宰治や寺山修司や大江健三郎や開高健や中上健次やローリングストーンズやレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンやディープパープルやイーグルスやヨハン・クライフやベッケンバウアーやプラティニやマラドーナやバッジョや70年代80年代の思い出が、歳と共に失われていく。これから先、さらに歳を重ねていく自分にとって、同年の仲間はますます大切な存在になっていく。自分を含め、同時代を生きた同世代の仲間の健康長寿を願わずにはいられない。

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