市田駅の上りプラットホーム(東側)には、3種の石積みが見られます。そこには、開業当時からのホーム延伸の歴史が秘められています。
1 駅開業当時の石積み
辰野側(北側)の2段の石積み(写真1)が、大正12年の開業当時の石積みです。このときホームの全長は40mでした。
写真1 斜線部が開業当時の石積み
2 ホームが1段高くなる
写真2の3段目の石積み(斜線部)は下の2段よりやや引っ込んでいて、後から積んだものとわかります。これはボギー車導入による車両の大型化に伴い、ホームを高くしたときの石積みです。ホームの全長は変わっていません。
写真2 斜線部を新たに積み、ホームを高くした
3 ホームを豊橋側へ20m延伸
写真3-1の左と右では、石の積み方が違っています。左部は写真2の石積み。右の石積み(3段の布積み)はホームを豊橋側(南側)へ20m延伸した石積みです。この新しい積み方で、ホームは20m延長され、全長60mのホームになりました。
写真3-1 点線より左はこれまでのホーム。点線より右は豊橋側へ20m延長された新しいホーム。斜線部は後の処理による石積み(5参照)
写真3-2 延伸された布積み3段の新しいホーム
4 さらに20m延伸(昭和31年)
写真4-1の左部分(布積み部)は60mとなったホームの南端に当たります。そして積み方が谷積みに変わる右部分は、さらにホームを豊橋側に20m延伸した際の石積みです。この20mの谷積みにより、ホームは現在の80mになりました。これにより、20m車両4両編成に対応する80mホームが完成しました。昭和31年のことです。
写真4-1 点線より左はこれまでのホーム(60m)。右は豊橋側に20m延長された谷積みの新しいホーム
写真4-2 延伸された谷積みの新しいホーム
5 その後①
3の時点で伊那電時代のホームは低く、段差がありました(写真3-1の斜線部)。そのホーム(全長40m)を30センチほどコンクリートで嵩上げして、80mのホームを同じ高さにしました(写真5)。
写真5 斜線部をコンクリートで嵩上げし、ホームを同じ高さにした
6 その後②
コンクリートで7~8センチほど嵩上げし、規定のホームの高さに統一しました(写真6)。
写真6 斜線部をコンクリートで嵩上げし規定の高さにした
7 下り(駅舎側)ホームは
駅舎側のホームは、20mの谷積み部より前の石積みは、上部がコンクリートで覆われています(写真7の斜線部)。これは昭和44年の新駅舎建設時にこのように造られたのではないかと思われます。
写真7 左の谷積み部は豊橋側に20m延伸した際の石積み。斜線のコンクリート部は新駅舎建設時の処理か?
※本稿は令和5年3月に高森町飯田線開通百周年記念事業実行委員会が発行した、山吹駅市田駅開業百周年記念誌「飯田線 駅 街 百年」を参考に作成しました。
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