ブラタカモリで「まちの神様たち」を取り上げようと町図書館で資料調査をしていたとき、『高森町石造物絵図』という本を見つけました。
本クロスの「高森町石造物絵図」
背文字に「高森町石造物絵図 昭和52─58年 勝又恒一」と書名があり、扉には「昭和52年より調査 昭和58年1月30日 下市田 勝又恒一 74歳」とあります。68歳で調査を始め、72歳のときに終了(絵図作製)したことになります。
冒頭の「はじめに」に調査の概要が記されているので、全文を転載します。
一 昭和五十二年調査を始め、昭和五十八年一月三十日絵図を作製した。
一 石像の見誤りや年月日の誤認等多々あるものと思う。また計測の不正確なもの或いは目測によったものあり。調査不十分で正確は期し難い。後日の訂正を待つところである。
一 町内にはなお調査洩れのものが多くあると思われる。
一 町内の古くからの街道や参詣道沿線に多くの石造物が残されているので、これらを中心にして表記した。
一 その他古い時代から中心になった土地、社寺周辺に石造物が多いので、これを中心にまとめてみた。
一 絵図はおぼろげな記憶と想定によって描いた概念図で、一応の位置を表したに過ぎず、実際とは随分そぐわない点、誤りが多く、殊に方向、距離感に至っては全く不完なものである。
一 同じ場所にある石造物の配列位置の中には、はっきりしない記憶によるものもあるので、正確でないものもある。
一 絵図には目標として道、家、神社仏閣、川、森等を基準に記入している。
一 町内における記録、伝承、土地の人々の伝承等参考として一部記入した。
一 高森町自然愛護会調査(昭和五十七年)の保存したい植物、動物の一部を記入した。
勝又恒一先生は明治41年大下条村(現阿南町)に生まれ、昭和40年の退職まで飯田下伊那の小学校で教職にありました。この間、下伊那教育会の自然調査委員を務め、退職後は地区の公民館長、町文化財調査委員、町埋蔵文化財調査員、町自然愛護会副会長、町史学会副会長等を務めています。
『高森町石造物絵図』は晩年ライフワークとして取り組まれたのでしょう。精緻に描き込まれた絵図から、先生の情熱が伝わってきます。感服するしかありません。ぜひ図書館で手にしてみてください。
下市田 安養寺
下市田二区
下市田四区
吉田城山光専寺付近
吉田 城畑・広庭
山吹上平白髭神社付近
牛牧神社明永寺付近
上市田護摩堂古墳一号(御嶽様)
出原
光明寺
フィールドノート
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